ごめんなさいらっしゃいませ〜

変態OLです。

人が動いて

『働く』


と読みます。


心臓が動いているから、



それ即ち私は働いているのです。
つまり、



心臓が動くためには
そのエネルギーとして
食べ物を食べなくてはなりません。



では、
その食べ物は
果たして
どうやって手に入れるか



そうです。


働いて手に入れるのです。



つまり人は動いているからこそ
生きているということになります。



働かざるものは食うべからず



とはまさしく真実なのだと
そう思うのですが。




では、
働きたくて働いている人は
どれだけいるだろうか、と言ったら


それは
希少であるだろうと私は思うのです。



幼い頃、私は
毎日毎日働く父と母を見て、



何で働いているのだろう、
と思っていました。


身内の贔屓目で見たとしても
その働いている姿は
全く面白そうに見えないし、
地味で、泥にまみれて、
汗にまみれて、
努力を要して、
全然かっこよくなくて、
それなのに、どうして
毎日仕事出来るんだろう?


芸能界や、
大手企業、商社、(いわゆるホワイトカラー族)勤務の
人たちが眩しく見えるのに対して、


私の父は、まるで
梅雨のじっとりとした湿気を孕んだ様な
道程を歩んでいるようで、
何だか惨めで恥ずかしく思えたことを覚えています。



それが、
成長するごとに、
全ての人が
才能に恵まれている訳では無いことに気づき、

例に漏れず、
自分自身もそうでることに気付いて初めて
人生に挫折することになるのです。


そして
毎日働き続けることの困難さと、
それを実行している両親の姿を
尊く思えてくるのです。



ただ私は思うのです。
働くことは目的ではなく
手段なのだと。


私には
守るべき家族がある
欲しいものもある
だから働く


働くことに
日々の大半をとられてしまうから
忘れがちだけれど、
私にとって働く事は
楽しいことをするための、
幸せな時間を守るための
手段にすぎないのだと。




そう思わずには
やってらんないのです。



運の無い自分に
やってらんないのです。



そして願わずにはいられないのです。
星に願わずにはいられないのです。


何の才能もいらないから、
宝くじに当たる運だけください、と。

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願うだけで叶うなら
一生懸命願うから!
誰にも負けないから、神様!

って感じでーす。
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先日のロンハー。
面白かったですね。

私は、
格付け等よりも
面白かったな〜と
思いました。



皆さん、
プロは凄いですね。



ところで、
先週録画した、
ナイナイ+を視聴している最中、
息子が、



「お母さん!ほらほら!!」



と、
テレビを指して、、
一生懸命踊りながら
言うのです。



ん?
どうした?


見ると、



オードリー春日が、
春日クイズにて、
シンキングダンスを披露しています。




ああ、オードリーの春日ね。



と納得して、息子を見ると、
彼、嬉しそうに
一緒に踊っているではありませんか。



ページファイル 春日 真似





ページファイル 春日 真似02



正しくは、こう。


ページファイル 春日




んー、惜しい。
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先日の夕飯。



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んで旦那弁当。



豚の冷しゃぶと、
焼きなすのねぎ味噌風味。
旦那の実家と
私の実家から、
夏野菜が豊富に届きます。


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『変態OL画像』


で検索されて、
うっかりこちらに来られた方、
ごめんなさい。


うちのブログにある画像は
せいぜい
息子の裸姿のイラストぐらいです。


あと、



『毛じらみ  剃毛』


で検索された方。
何の解決法も載ってなくって
ごめんなさい。
もし、患ってらっしゃるのなら
医療機関へ行かれることを
お勧めします。




さて、息子さん。


先日、国営放送で放映された
椎名林檎ちゃんの番組を
一緒に見ていたときのこと。


彼女が、唄を歌っているとき、
バックバンドの、
トランペットのソロになったら、



一緒にトランペットを吹く真似を
していましたね。


とても可愛くて悶えました。



あと、
私が叱ろうとすると、



「お母さん、おこらないで〜〜」


と私の足元にすがり付く姿。


可愛くてたまらないです。



次男(赤ちゃん)が、
指をおしゃぶりしていると、



「指食べてる〜〜指食べてるよーー!!」



と阿鼻叫喚。
私に号泣しながら
やめさせろと言ってくるの


意味が分かりません。





お父さんに怒られて、




「お父さん怖い、嫌い」




と泣きながら私に縋ってきますね。




機嫌が悪い時、



「ばあちゃん、じいちゃん、怖い、嫌い」




と私に縋ってきますね。



でもまだ一度も



「お母さん嫌い」





の一言を聞いたことがありません。
お母さんは、とても嬉しいです。



もし



「お母さん嫌い」


と言った日が来たら、


ああ、来るべき日が来たのだな、



そう思って、
ボクシングの練習を始めようと思います。



反抗期に突入して、
もし、
万が一、
木刀で
向かって来た時に
対応できるように、と
ボクシングを始めた



RIKACO
のように。


まるで、
反抗期(親離れ)の熊に、
素手で立ち向かった
ムツゴロウさんのように。



いつだって、
逃げることなく
貴方を愛し続けることを
誓います。
(それが本当の愛なのだろうか、疑問がありますが。)
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母親というものになってみて、

実に『母親』という制服は
時にスカートが長すぎたり、

セーラー服のリボンの色が
自分だけ違って
孤独感を味わったり、

サイズが小さくて窮屈だったりして、

身の丈に合うこと自体が
奇跡なのだと
毎日のように気付かされます。


ただ、
制服を着ただけで、
子供を産んだだけで
『母親』
という常識を押し付けられる
それが私たち、母親なのです。




私が『アイシテル〜海容〜』
というドラマで、最も感情移入した部分は
ドラマのラスト。
被害者の母親から
加害者の母親への手紙の中でのフレーズ。




『みずからの
すべてを捧げて
家族のため
子供のために
尽くしても


母親であれば
当然という
周りの人たちの
悲しいまでの
無関心さ』




当然、という言葉が
私に突き刺さりました。


「母親だったら当然しなければならない」
「母親なら〜するのが当然だ」



この常識が、
いつだって
私たち、
母親を苦しめるのです。



いつだって

「当然」

の一言で、
未経験の子育てを必死でしている
私達を責め立てるのです。



私が、育児休暇から復帰する際、
子供を保育園に預けず、
両親に預けることを決意しました。
その事を、

「まぁ、働いてる人は、皆保育園に預けてるのに。」
「お母さんたちは、大変だろうに」


だと周囲の人たちに散々言われました。
逆に、


「ご両親に預けられるから子供たちは幸せだね。」
「1歳から保育園に入れるのは可哀想だものね。」


とも言われました。

どちらの意見も正しいし、
両方の長所と短所を的確に指摘された意見だと
頭ではわかりますが、

私としては、
「じゃぁ、どうしたら良いの?」
と激しく混乱しました。



他人からすれば、
他愛無い会話の一つであって
受け手の立場からすれば、
心に余裕があれば
いくらでも受け流せるのに、
いつだって未経験で余裕の無い私達は
周囲のちょっとした一言で
揺らぎ、悩み、傷ついてしまうのです。




でも、
そんな私たちに必要なものは、



『覚悟』



なのだと思います。


『母親になる覚悟』




どの育児書にも、
とても綺麗なことばかり並べてあって、
当たり障り無いことばかり書いてあって、
(そうせざるを得ない大人の事情は百も承知ですが)
私の心には全然響いてきませんでした。


どんなベストセラーの育児書だって、

子供とは、泣くものです。
そんな時は、子供の言い分を聞いてあげて、
抱いて安心させてあげましょう。

だとか、

かんしゃくは、
立派に成長している証です。(喜べ)

だとか、
釈然としない心に蓋をして、
何とか遣り過ごすような
まるで説法を聞いているような
説教をされているような
宥められているような、
カウンセリングを受けているような
そんな気分になってしまって
何だか好きになれませんでした。





それが何故なのか、
いつも思っていました。
作中に、
優しくなれない母親が自分を責めている内容の
相談がありました。
歯磨きをしない息子を羽交い絞めにした母親の
謝罪の文章が掲載してありました。

どれだって、
優しくなれない事や、
口で説得でき無い自分を内省したり、
『優しいこと』
や、
『忍耐強く、説き伏せる』
姿がまるで
正しい母親の姿であるかのように。




そうです。
どこにだって、
その前提としての


『母親になる覚悟』



が触れられていないのです。



私が、長男を出産してから、
首が据わるまでの数ヶ月は
夜泣きで眠ることがほとんど出来ませんでした。


初めての出産という事で
慣れないことばかりで、
赤ちゃんを
「かわいい」
と思うよりも
「泣かせないようにしなきゃ」
だとか
「もし落としてしまったらどうしよう」
だとか
そんな事ばかりに気を取られていました。
彼が眠らない夜、
寝不足の体を引き摺りながら
必死に
落とさないように
命の炎を消さないように
抱いていた記憶があります。


その必死さは、
鬼気迫るものが
あっただろうと、
今の私なら思えます。


ここで落としてしまったら、
新聞沙汰になってしまうんじゃないか、

いっそ、
このままベランダから飛び降りれたら
楽になるんじゃないか、



そんな風にも思いました。
(ただ、痛いのが嫌だから普通にやめました)



母親であれば当然抱っこして
泣き止ませるもの



そういう常識が
私を雁字搦めにしていました。




泣かせても良いんだよ



そういう人も居ますが、
やはり、子供がいつまで経っても泣き止まなかったら、



お母さんに抱っこしてもらおうか



そう言って、わざわざ泣かせておきながら
母親任せの人も居ます





さまざまな矛盾を抱えながらも
私たちは、
子供たちの


『母親』


であり続けなくてはなりません。




子供を産むという事は、
それを覚悟しなくてはいけないという事。




その覚悟無しには
前に進めないのだという事。



そして
如何様にして育った子供の
人生ごと、
愛する覚悟が必要なんだと


そう気付かされた作品でした。
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