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激昂クールダウン

変態OLです。

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先日、施設から祖父が軽い心不全を起こしていると連絡が入ったらしい。

母方の祖父は、現在特別養護老人ホームに入所している。
祖父は胃ロウで必要な分の栄養を流し、膀胱ロウで排泄物を取り出し、肺気腫なので酸素ボンベを背負ってそうやって生かされている。認知症の症状もあるのであるが、最近は目もよく見えないせいか、母が面会に行っても彼女のことが分からないらしい。


祖父はとても厳格で、優しい人だった。
彼は病気になるギリギリまで仕事をしていた。



「年取るまでそんなに稼いでどうするとね?」

そんな周囲の声には、



「孫達のためになればよかとですよ。」




笑いながらそう答えていたらしい。
孫達が、家に、寄り付かなくなってからも、だ。



いつも祖母と二人三脚で仕事をしていた、そんな姿が目に焼きついているので、施設での祖父を見ると、あんなにしっかりしていた人が、とショックをいつも受けてしまっていた。でも、老いる、とはそういうことなのだ、と自分を納得させていた。


老いる、ということは、そういうことなのだ。



祖母は、去年の3月に亡くなった。
祖母が入院した時、彼女より先に体調を崩していた祖父は、施設で妻の容態を聞いた。



祖母の介護をすると言い張って、熱を押し病院へ駆けつけた。
でも、祖母は、何しにきた?と迷惑そうな顔をしていたそうだ。


それもそのはず、祖母は、自分の体のことを、知らなかった。
まさか、あと余命3ヶ月の宣告を受けているとは、知らなかった。



人間は、前向きに生きるようにそうDNAに組み込まれている。
精神面もそうなら、きっと身体面もそうだ。
体の機能が止まってしまう、ということは凄いエネルギーを必要とするんだ。
細胞が病魔に巣食われ人が死ぬ、ということは、そういうことなのだ。
細胞が死ぬ、ということは、物凄いエネルギーの喪失なんだ。
喪失には、痛みを伴う。
燃える様な激しい痛み。
破壊のエネルギー。






「先生、早くお願いします。」




それが、祖母の最期の言葉だった。
注射を打ってもらい、細胞が壊死する痛みから解放された彼女は、眠るように息を引取った。



祖母が亡くなって、祖父の衰弱は目に見えて分かるほどに加速した。





祖父と最後に会ったのは何時だ?

ああ、息子と一緒に面会に行った時だった。

あの時はまだ曾孫の事が分かっていた。

私のことも分かっていた。



ああ、良かった。

縁起でもないと思いながらも、ああ、良かった。
そう思う。自己満足だとは知りながらも。








麦わらを被って


初夏の頃、風にたなびく畑の緑に、陽光を受け佇む彼の


秋の頃、金色の波間に、黄昏を背に受け雫を流す彼の


彼の背中を思い出す。


何時だって彼は、その大きな大地に足を踏みしめ、
太陽を見つめ、雲の流れを見つめ、水の流れを見つめ、
自然と対話しながら共に生き、その対話の数だけ、顔に年輪を重ね、

妻を愛し、子を愛し、孫を愛し、感謝の心を忘れず、人を恨まず、羨まず、困っている人に与えた。



母から怒られる私達をかばってくれて、いつも帰り際にお小遣いを持たせてくれて、初めて祖母が癌だと知った時の彼の孤独感、林に覆われた暗い田舎の家屋で一人で夜を過ごすことの恐怖感と闇に消えていく慟哭が耳に聞こえてくる。夜露に紛れた涙。全ての闇が彼を包み込んで、彼は狂ってしまった。彼は、ショックのあまり、自分を壊してしまった。一晩中、起きて、疑心暗鬼に陥り夜通し農機具を見張ったり、ショベルカーが自宅を壊そうとする錯覚に陥り、警察に電話をしたり、私達に見えない水が彼の周りに浸水し溺れそうになったり、真冬の夜、トイレの場所が分からず、一人で部屋をグルグル回り、結局部屋の中で失禁してしまった彼。夜になると毎晩震えていたに違いない。常に何かに襲われる感覚。

母は、こう言っていた。じいちゃんがそんなに弱い人と知らなかった。ばあちゃんが死ぬかもしれないと思って、そこまでショックを受けるとは知らなかった。言ってくれれば良かったのに。

厳格で優しくて、不器用な人だったのだろう。自分の気持ちを素直に誰かに伝えるなんて出来なかった。ましてや、怖い、寂しいそんな事はとても言えなかったのだろう。
とても、不器用な人だったのだ。



自分の体も思うままにならないのに、


「今まで連れ添って60年も一緒に仕事をしたんやから、最後ばっかりはワシが看取らんといかん」


そう言って祖母の元に駆けつけた彼の姿。
その時、彼はもとの彼に戻った。


病室で朴訥と話す二人の姿。

他愛無い会話の中に、彼の心の声が聞こえてきた。



今まで何度も入院させたな。お前には苦労ばかりかけた。
私は、本家の次男に生まれたから、耕すべき土地も、雨風を凌ぐべき家屋も、家畜も、何も持たずに、戦後の荒地をただひたすら耕すことから始めた。裸一貫からの始まりで、お前は不安でたまらなかったろうが、私はそんなお前を励ますこともせず、労いの言葉をかけることもせず、ただ必死で毎日を暮らすことばっかりを考えていたよ。何とか日々食っていけるようになって、二人の娘を授かった。そのときの感動ったら無かったよ。よくやってくれた、そう言いたかったが、照れ臭くて何も言えなかった。お前からすれば、なんて愛想の無い人、そう思っただろうが、恥ずかしかった。自分の感情を出すなんて、出来ない。私は昔から口下手で、行動でしか気持ちを表せない。そんな性格を免罪符にするつもりはないが、お前なら分かってくれるだろう、そんな甘えがいつもあった。お前が居なければ、何もはかどらない。お前が癌だと知った時の衝撃が分かるだろうか?この胸の震撼が理解できるだろうか?私は、これから先のことを考えて不安になったから、壊れてしまったのではないのだよ。その時初めて、長きにも渡ってお前を苦しめていたのだということに気付いてショックだった。お前の支えをいつも当然と思っていた。でも無理をさせ続ければいつかお前が体調を崩してしまうという事は分かっていたはずなのに。自分の馬鹿さ加減にもう取り返しがつかなくなってから気づいた。

お前が居なくなるかもしれない、そう思って、足元が抜けていく感じがした。私はまだお前に何もしていない。何も、出来ていないよ。





そういう祖父のうな垂れる姿。悔恨、懺悔。
ベッドを必死で掴む手は、まるで痩せこけていて、震えていてそれでも力強かった。そこに命を感じられたのに。






遣り切れなくなって、目を閉じる。
色んな人間の懺悔が交錯する。



それでも、




今、私のまぶたに映るは、たなびく稲穂に腰を落とす、二人の姿。
力強く大地を踏みしめる、そんな姿。


(2007/11記)
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テーマ:雑記 - ジャンル:日記
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